かをりがコンサートにやって来ないのに、公生はステージに立ちました。そして公生は、1人でピアノを演奏したのでした。
最終演奏者の少年にかをりのことをバカにされた公生は、たった1人でステージに向かいました。そしてなんと、公生はたった1人で「愛の悲しみ」の演奏を始めたのでした。最初はかをりをバカにされた怒りが演奏を支配していましたが、やがて公生の耳から音が消えました。そして初めて、公生は自分がどんなに力んでピアノを弾いていたかに気づいたのでした。
そこから公生の演奏が変化します。いつも母親が弾いていたこの曲。その曲をお母さんがどんな風に演奏していたのか。そして、お母さんはどんな風に演奏しなさいと教えてくれたのか。それが次々と公生の中に蘇ってきました。
元々、公生のピアノの才能に最初に気がついたのは、紘子先生でした。なんと紘子先生が旦那への腹立ちまぎれに弾いた曲を、公生はあっさり再現してみせたのでした。公生にとっては、ピアノは弾けるのが当たり前だったのでした。
そして、ついに公生のお母さんの真意が明らかになりました。お母さんは、自分の命が長くないことを知っていました。そして、自分が死んだ後も公生がピアノで生きていけるように厳しい指導をしていたのでした。そんなお母さんの思いを、公生は知っていたのでした。そして今、お母さんは亡くなりましたが、教えてくれたことはちゃんと公生の中で生きています。(;_;)
そんなお母さんに届くようにと、公生は素晴らしい演奏をしました。そんな公生の演奏は、聴衆の心を動かしたのでした。そして、公生に順番を譲ってくれなかった少年にも、そんな公生の思いは届きました。演奏を終えた公生を見て、その少年は自分がこれまであそこまで必死に音楽と向き合ったことがあったかと問いました。
そして少年の出番が来ました。前に公生がいい演奏をしたので、最初はプレッシャーで堅くなっていた少年でしたが、観客の中にお母さんの姿を見つけると、少年の心が決まりました。公生が演奏したのと同じように、その少年もお母さんに届けるかのような優しい演奏をしたのでした。
公生を目標にしてきたライバルたち、そしてこの少年と、公生の演奏は誰かの心を動かさずにはいられないようです。こうしてガラコンサートは終わりました。演奏を終えた公生に、椿は言葉をかけることができませんでした。椿の中には、喜びと悲しみという2つの感情があったのでした。公生が演奏できた喜びと、それによって公生が再び椿にとって遠い存在になってしまった悲しみ。
クライスラーの「愛の喜び」と「愛の悲しみ」は、2つが対になった音楽だそうですが、この時の椿の心境がまさにそうだったのではないかと思いました。
その後、公生は椿からかをりが入院したことを知りました。お母さんの時と同じように、再び公生は悲しみを味わうことになるのでしょうか。(;_;)
最終演奏者の少年にかをりのことをバカにされた公生は、たった1人でステージに向かいました。そしてなんと、公生はたった1人で「愛の悲しみ」の演奏を始めたのでした。最初はかをりをバカにされた怒りが演奏を支配していましたが、やがて公生の耳から音が消えました。そして初めて、公生は自分がどんなに力んでピアノを弾いていたかに気づいたのでした。
そこから公生の演奏が変化します。いつも母親が弾いていたこの曲。その曲をお母さんがどんな風に演奏していたのか。そして、お母さんはどんな風に演奏しなさいと教えてくれたのか。それが次々と公生の中に蘇ってきました。
元々、公生のピアノの才能に最初に気がついたのは、紘子先生でした。なんと紘子先生が旦那への腹立ちまぎれに弾いた曲を、公生はあっさり再現してみせたのでした。公生にとっては、ピアノは弾けるのが当たり前だったのでした。
そして、ついに公生のお母さんの真意が明らかになりました。お母さんは、自分の命が長くないことを知っていました。そして、自分が死んだ後も公生がピアノで生きていけるように厳しい指導をしていたのでした。そんなお母さんの思いを、公生は知っていたのでした。そして今、お母さんは亡くなりましたが、教えてくれたことはちゃんと公生の中で生きています。(;_;)
そんなお母さんに届くようにと、公生は素晴らしい演奏をしました。そんな公生の演奏は、聴衆の心を動かしたのでした。そして、公生に順番を譲ってくれなかった少年にも、そんな公生の思いは届きました。演奏を終えた公生を見て、その少年は自分がこれまであそこまで必死に音楽と向き合ったことがあったかと問いました。
そして少年の出番が来ました。前に公生がいい演奏をしたので、最初はプレッシャーで堅くなっていた少年でしたが、観客の中にお母さんの姿を見つけると、少年の心が決まりました。公生が演奏したのと同じように、その少年もお母さんに届けるかのような優しい演奏をしたのでした。
公生を目標にしてきたライバルたち、そしてこの少年と、公生の演奏は誰かの心を動かさずにはいられないようです。こうしてガラコンサートは終わりました。演奏を終えた公生に、椿は言葉をかけることができませんでした。椿の中には、喜びと悲しみという2つの感情があったのでした。公生が演奏できた喜びと、それによって公生が再び椿にとって遠い存在になってしまった悲しみ。
クライスラーの「愛の喜び」と「愛の悲しみ」は、2つが対になった音楽だそうですが、この時の椿の心境がまさにそうだったのではないかと思いました。
その後、公生は椿からかをりが入院したことを知りました。お母さんの時と同じように、再び公生は悲しみを味わうことになるのでしょうか。(;_;)
最終更新日 : 2022-10-30
愛を失わなければ進めないのだとしたら、そんなに悲しいことはない。 …
2015/01/18 11:11 LUNE BLOG