ついに映画は完成間近。文化祭の開催も目前です。そして、ハルヒの世界に与える影響も拡大中だったのでした。
物語の冒頭では、いきなり猫を調達です。長門の連れているのは黒猫という設定でしたが、手頃な黒猫が見あたらなかったので、三毛猫で代用することになりました。しかし、その猫にもハルヒの力が作用して、なんと話ができるのでした!
猫好きとしては、これはちょっとうらやましい状況ですが、現実問題として本当にあんな感じで猫に話をされたら鬱陶しくて仕方ないんでしょうね。(^^;
しかもこの猫、なかなかに哲学的でした。猫と人とが話をするだけでなく、人と人との間でコミュニケーションが成立しているのも、何かの勘違いではないと証明することは不可能でしょうね。
そんな中、いよいよ映画は完成へと向かいましたが、ハルヒが世界に与える影響は拡大するばかりです。そこで例によって古泉に頼まれて、キョンが事態を収拾しようとするのですが、今回は古泉、みくる、そして長門にもそれぞれ自分の属する組織の思惑があって、それぞれが悪人っぽく見えたのが印象的でした。
結局、キョンの思いつきで、映画の最後に監督であるハルヒ自身に「この作品はフィクションであり・・・」というお決まりの文句を言わせることで事態は収拾されました。この程度のことで何とかなってしまうハルヒの能力も、かなりいい加減なものですね。(^^;
そして今日もハルヒは、身近に宇宙人や未来人、超能力者がいることに気づくこともなく暮らしているのでした。
ちょっと哲学的な部分があったせいか、今回を見ていたら昔ちょっとだけ手を出して挫折したフッサールの現象学とか、ハイデガーの存在論とかを読み返してみたくなりました。(^^;
物語の冒頭では、いきなり猫を調達です。長門の連れているのは黒猫という設定でしたが、手頃な黒猫が見あたらなかったので、三毛猫で代用することになりました。しかし、その猫にもハルヒの力が作用して、なんと話ができるのでした!
猫好きとしては、これはちょっとうらやましい状況ですが、現実問題として本当にあんな感じで猫に話をされたら鬱陶しくて仕方ないんでしょうね。(^^;
しかもこの猫、なかなかに哲学的でした。猫と人とが話をするだけでなく、人と人との間でコミュニケーションが成立しているのも、何かの勘違いではないと証明することは不可能でしょうね。
そんな中、いよいよ映画は完成へと向かいましたが、ハルヒが世界に与える影響は拡大するばかりです。そこで例によって古泉に頼まれて、キョンが事態を収拾しようとするのですが、今回は古泉、みくる、そして長門にもそれぞれ自分の属する組織の思惑があって、それぞれが悪人っぽく見えたのが印象的でした。
結局、キョンの思いつきで、映画の最後に監督であるハルヒ自身に「この作品はフィクションであり・・・」というお決まりの文句を言わせることで事態は収拾されました。この程度のことで何とかなってしまうハルヒの能力も、かなりいい加減なものですね。(^^;
そして今日もハルヒは、身近に宇宙人や未来人、超能力者がいることに気づくこともなく暮らしているのでした。
ちょっと哲学的な部分があったせいか、今回を見ていたら昔ちょっとだけ手を出して挫折したフッサールの現象学とか、ハイデガーの存在論とかを読み返してみたくなりました。(^^;
最終更新日 : 2022-10-30
今回もOP曲を抜き。 人語を喋るどころか哲学者してる猫も登場。 …
2009/10/13 17:07 ボヘミアンな京都住まい